第二章・第三章において著者たちは、今回の金融危機の位置づけ・意味を精緻化するべく、この問題を数十年におけるタイムスパンで捉えなおす。これを本章では経済思潮という観点から捉える。
これまでのアメリカの三十年間は三つのフェーズに分けられる。その節目になるのが、第一に一九八七年のブラックマンデー、第二に一九九七年のアジア通貨危機、第三に二〇〇七年のサブプライム問題である。
チャールズ・R・モリスによれば、アメリカは三〇年間のスパンで経済思潮が交代するのだという。その間、間逆の経済的思想を持つ党が当選することもあるが、実行する経済政策の傾向に大きな相違はないようである。
七〇年代終わりから八〇年代初頭のアメリカは苦しめられていた。労働生産性が全く伸びなかったことに加え、石油ショックというサプライドサイドからのネガティブショックに対しケインズ政策を行った結果、グレート・インフレーション(と名づけられたスタグフレーション)が起こったからである。そんな経済の建て直しを期待されたカーター大統領が民意にそぐえず落選した後、八一年に政権は共和党政権のレーガン大統領に移り”保守派”の新たな時代が始まった。
八〇年代からの二十年間はアメリカにとって繁栄の時代となる。ただし八〇年代の時点では、一般にはまだアメリカは低迷し日本が黄金時代を謳歌していると認知されていた。
ここでアメリカの復活に大きな役割を果たしたのが、FED議長を務めていたポール・ポルカーであった。彼は伝統的な金融政策(ターゲット水準を設けて金利を誘導し、その金利水準で需給が一致するように資金を受動的に供給する方法)を一旦放棄すること(厳密には放棄したふりをすること)を通して金融引き締めを行い、インフレーションを抑え込む取り組みを行った。この政策は景気後退を引き起こしたことから強く批判されたが、それが結果的に成功しアメリカの持続的拡張の基盤を形成することとなった。
”保守派”は供給側を重視する政策を採る。これは、フリードマンが68年に発表した自然失業率理論以降の経済学の潮流を反映したものであり、その時点ではもはやケインズ政策は否定されていたのである。
供給側の変化で特筆すべきなのは、それまでの大企業型の経営が行き詰まりを見せたことだ。大企業の資本効率は段々悪くなっていったのである。そしてそれら既存の産業の大企業が没落し、新たにIT産業・金融業がアメリカ再生の原動力となったのである。
この三〇年間の第二フェーズが始まるのは八七年、FED議長にグリーンスパンが就任した年であり、ブラックマンデーが発生した年である。
大雑把にいえばグリーンスパンの金融政策はギャンブラー的なものである。それは歳量的なもので、金利水準を見るとジェットコースターのように上げて下げるような運営をしている。このような相場を貼ったような金融政策を考えるに、FED議長としてのグリーンスパンの十八年のキャリアは前半2/3と後半1/3に分けて考えられる。前者はそのギャンブルが成功し、後半はその勝負運が続かなかった時期である。なお、後述するように この後者のほうがこの三十年間の第三フェーズである。
ブラック・マンデーとは金融危機の一つであり、投資戦略の「合成の誤謬」によって生じたものである。これは、株式のリスクをヘッジするべくブットオプションを購入する代わりに、先物と現物の資産を動的に組み替えていくという投資戦略を多くの投資家が導入してしまったゆえに、価格の与件性が崩れてしまったことによって発生したのである。
なお、このブラック・マンデーの発生はコンピュータの発達と密接に結びついている。人間が手作業でやれないような複雑な作業をある種のアルゴリズムに基づいたプログラム取引が可能になったからこそ、こういう投資戦略がはやるようになったのである。
この時期、クリントン率いる民主党に政権が変わる。これは、増税を行わないと約束した父ブッシュがその約束を破ったことに対する民意の反発によるものである。彼はこの政策をレーガン政権によって発生した膨大な財政赤字を解決するために行ったものであた。
第三フェーズは、アジア金融危機が勃発した年から始まる。この翌年にロシア危機など発生し、悲劇が続いていく。
アジア金融危機以前の東アジア諸国の経済発展は、積極的に外資導入を行うことによる経済発展であった。なお日本は、外資導入を強く回避し六十年代になってOECDに資本自由化を迫られたこともあった。日本は国内の貯蓄を資本蓄積の源泉として経済発展してきたのだである。
そのような東アジア諸国の経済発展方式は、アジア金融危機をきっかけに外資が突然出ていったことに懲りて、日本に類似した経済成長路線に転換することになる。
そんな状況の中で東アジア諸国は貯蓄超過になった。そしてこの東アジア諸国と同様の変化を起こしたラテンアメリカ諸国も貯蓄超過となる。産油国は当然貯蓄超過であるので、これはつまり世界中のほとんどの国々が貯蓄超過になったということである。
これらの国々は、アメリカに投資機会を求めた。二〇〇〇年以降の世界経済をみると、唯一アメリカだけが投資超過国となっている。このようなグローバルインバランスがさらに急激に拡大していく。後の章で述べるように、このインバランスの存在が今回の金融危機の大きな原因の一つである。
このグローバルインバランスの責任は貯蓄超過国・消費超過国どちらにあるか、という点については議論が分かれる。ただし、この問題を捉えることにおいて「アメリカ人が浪費好き」と考えるのは問題を単純化しすぎている。アメリカは大変効率の悪い高コスト構造を持っており、これがアメリカの消費超過の原因である。
二〇〇〇年にはインターネットバブルが発生する。これはグリーンスパンですらこれがバブルであると見抜けず、それを見抜けた人間はイギリスのThe Economistsの一部の人間などと数少なかった。しかしこの被害はとても小さいものであった。
ただしこのバブルが後の住宅バブルの発生の一因になってしまう。グリーンスパンはデフレに対する警戒心が非常に強かった。このデフレが発生するリスクは低いが、万が一発生した場合は非常に経済にダメージを与えてしまう、そのようなテールリスクを払拭するため、テイラールールなどで判断したレベルを超えたいっそうの金融緩和を行う。これが結果的に、住宅バブルを起こす引き金になるのである。
2009年3月6日金曜日
2009年3月2日月曜日
『なぜ世界は不況に陥ったのか』・第一章 池尾和人・池田信夫
本書は、今回の金融危機の本質・そしてそれが示唆することを明らかにし、そうした中で現代の経済学の最先端に見える地平について著者たちが語り合ったものである。
それにあたってまず、著者らは今回の金融危機が生じたプロセスから述べる。
今回の金融危機の発端はサブプライムローン、つまりはアメリカの住宅モーゲージ市場がクラッシュしたことから始まる。
このサブプライム問題について抑えておくべきは、第一にその発端が住宅バブルの崩壊であったという自明の事実、第二にそのバブルの生成・崩壊がいかなる金融システムの下で起こったかという点である。
日本のバブルの発生は、伝統的な銀行中心の間接金融体制の下で起きた。しかし今回のバブルは、極めて高度・複雑に発展していた重層的市場型金融の下で起きたのであり、この違いが重要である。というのも、アメリカでは資金調達者から資金提供者までの距離が非常に長い構造になっているのである。
そうであるがゆえにアメリカでは資産価値の適正価格を見出すことが非常に困難であった。それゆえに投資家は資産価値の格付けを信用し、それだけを頼りにしていた、という点がこの問題を考えるにあたって重要な点である。
↑ *1 に概説
このサブプライムローンというのは、借り手を半ば騙すことで大きく割合を増やしていた。これがこの問題を深化させた。
元来、サブプライムローンというのはマイナーな存在であった。信用度の低く「非適格物」として分類されていたサブプライムは、市場においもごく僅かなシェアしかなかった。なお「非適格物」とはフレディマック・ファニーメイといった住宅金融公庫的な機関に買い取ってもらえるだけの条件を満たしていないものである。
もちろんリスクの高い人に住宅資金が借りられるようになったのは必ずしも悪いことではない。グリーンスパンなどの著名人も素晴らしい制度であると褒めていた。しかしこれを実現可能にしていたのは、金融技術ではなくただ住宅価格が上がっていたからに過ぎなかったのである。
資産価値の格付けが一斉に下がり信用できなくなったとき、取り付け(run)が発生した。取り付けとは、投資家たちがファイナンスに応じない・資金を回収する・ファンドであれば解約を求める、といった行動に一斉に出ることを指す。これは投資家にとって合理的な行動である。資産価値を適正に評価する際のコストを換算すれば、正当な権利である先述の行動に出ることが安くつくであろう。
そしてサブプライムローンは他の市場へ飛び火する。ヘッジファンドや投資銀行が、サブプライムのように見かけだけの収益をかさ上げしてきたことが段々明らかになってくるからである。一時期はFEDの介入などにより平穏になった状況が、二〇〇八年夏から一挙に危機が再燃・拡大し始めるのである。
*1 … 資産価値の適正価格を見出すのがなぜ困難であったか
住宅バブルの生成・崩壊において、その住宅価格の上昇が見られるのは一九九七年ごろからである。(例えば賃料に対する価格の比率、株式でいえばPERなどで確認できる。)
この住宅価格がピークアウトした二〇〇六年春~夏から一年ほどして金融危機が始まる。
ピークアウト後に金融危機が発生した背景として、このサブプライムローンというものが住宅価格が持続的に上昇していくことを前提にして成り立つことが挙げられる。関係者はローンの返済が滞るケースが増える中でオリジネートしてもディストリビュートしなくなってくる。
なお、オリジネート・ディストリビュートとは金融における用語である。住宅ローンを貸し出していたのはモーゲージバンクという金融機関が主体で、自分が貸し出した住宅ローン債権をまとめて証券化し(オリジネート)、それを売却することで(ディストリビュート)資金調達をしていた。しかしヤバい状況下に陥ると債権を中々証券化することができず、最終的には債権を抱え込んだオリジネーター自身が破綻し始める。
モーゲージバンクの貸出・そして貸出債権を証券化することにおいて、その証券化商品をRMBSと呼ぶ。これはいくつかのクラス、シニア(優先)・メザニン・エクイティ(一番劣後する箇所)に分けられる。シニア・エクイティの部分に買い手がよくつく。(その主要な購入者は、シニアの部分は機関投資家・そしてエクイティの部分はヘッジファンドである。)しかし中間的部分であるメザニンはあまり売れない。これはミドルリターン・ミドルリスクはあまり好まれないからであり、それゆえにそれらをかき集めて第二次証券化商品が作られた。それをCDOと呼ぶ。この第二次証券化商品においてもメザニンの箇所は売れず、さらにCDOスクアードと呼ばれるものも作られたりした。
そのようなCDOを、MMF・SIVといった金融機関・会社が購入し、さらにそれを担保にしてCP(ABCP)というものの発行やレポ取引を行っていたりした。
このように、アメリカでは資金調達者から資金提供者までの距離が非常に長く、資産価値を評価するのが大変であった。これに対して日本の場合は、借り手と銀行の関係だけであったので、DCF法で貸出債権を評価しなおせばよいだけであった。
それにあたってまず、著者らは今回の金融危機が生じたプロセスから述べる。
今回の金融危機の発端はサブプライムローン、つまりはアメリカの住宅モーゲージ市場がクラッシュしたことから始まる。
このサブプライム問題について抑えておくべきは、第一にその発端が住宅バブルの崩壊であったという自明の事実、第二にそのバブルの生成・崩壊がいかなる金融システムの下で起こったかという点である。
日本のバブルの発生は、伝統的な銀行中心の間接金融体制の下で起きた。しかし今回のバブルは、極めて高度・複雑に発展していた重層的市場型金融の下で起きたのであり、この違いが重要である。というのも、アメリカでは資金調達者から資金提供者までの距離が非常に長い構造になっているのである。
そうであるがゆえにアメリカでは資産価値の適正価格を見出すことが非常に困難であった。それゆえに投資家は資産価値の格付けを信用し、それだけを頼りにしていた、という点がこの問題を考えるにあたって重要な点である。
↑ *1 に概説
このサブプライムローンというのは、借り手を半ば騙すことで大きく割合を増やしていた。これがこの問題を深化させた。
元来、サブプライムローンというのはマイナーな存在であった。信用度の低く「非適格物」として分類されていたサブプライムは、市場においもごく僅かなシェアしかなかった。なお「非適格物」とはフレディマック・ファニーメイといった住宅金融公庫的な機関に買い取ってもらえるだけの条件を満たしていないものである。
もちろんリスクの高い人に住宅資金が借りられるようになったのは必ずしも悪いことではない。グリーンスパンなどの著名人も素晴らしい制度であると褒めていた。しかしこれを実現可能にしていたのは、金融技術ではなくただ住宅価格が上がっていたからに過ぎなかったのである。
資産価値の格付けが一斉に下がり信用できなくなったとき、取り付け(run)が発生した。取り付けとは、投資家たちがファイナンスに応じない・資金を回収する・ファンドであれば解約を求める、といった行動に一斉に出ることを指す。これは投資家にとって合理的な行動である。資産価値を適正に評価する際のコストを換算すれば、正当な権利である先述の行動に出ることが安くつくであろう。
そしてサブプライムローンは他の市場へ飛び火する。ヘッジファンドや投資銀行が、サブプライムのように見かけだけの収益をかさ上げしてきたことが段々明らかになってくるからである。一時期はFEDの介入などにより平穏になった状況が、二〇〇八年夏から一挙に危機が再燃・拡大し始めるのである。
*1 … 資産価値の適正価格を見出すのがなぜ困難であったか
住宅バブルの生成・崩壊において、その住宅価格の上昇が見られるのは一九九七年ごろからである。(例えば賃料に対する価格の比率、株式でいえばPERなどで確認できる。)
この住宅価格がピークアウトした二〇〇六年春~夏から一年ほどして金融危機が始まる。
ピークアウト後に金融危機が発生した背景として、このサブプライムローンというものが住宅価格が持続的に上昇していくことを前提にして成り立つことが挙げられる。関係者はローンの返済が滞るケースが増える中でオリジネートしてもディストリビュートしなくなってくる。
なお、オリジネート・ディストリビュートとは金融における用語である。住宅ローンを貸し出していたのはモーゲージバンクという金融機関が主体で、自分が貸し出した住宅ローン債権をまとめて証券化し(オリジネート)、それを売却することで(ディストリビュート)資金調達をしていた。しかしヤバい状況下に陥ると債権を中々証券化することができず、最終的には債権を抱え込んだオリジネーター自身が破綻し始める。
モーゲージバンクの貸出・そして貸出債権を証券化することにおいて、その証券化商品をRMBSと呼ぶ。これはいくつかのクラス、シニア(優先)・メザニン・エクイティ(一番劣後する箇所)に分けられる。シニア・エクイティの部分に買い手がよくつく。(その主要な購入者は、シニアの部分は機関投資家・そしてエクイティの部分はヘッジファンドである。)しかし中間的部分であるメザニンはあまり売れない。これはミドルリターン・ミドルリスクはあまり好まれないからであり、それゆえにそれらをかき集めて第二次証券化商品が作られた。それをCDOと呼ぶ。この第二次証券化商品においてもメザニンの箇所は売れず、さらにCDOスクアードと呼ばれるものも作られたりした。
そのようなCDOを、MMF・SIVといった金融機関・会社が購入し、さらにそれを担保にしてCP(ABCP)というものの発行やレポ取引を行っていたりした。
このように、アメリカでは資金調達者から資金提供者までの距離が非常に長く、資産価値を評価するのが大変であった。これに対して日本の場合は、借り手と銀行の関係だけであったので、DCF法で貸出債権を評価しなおせばよいだけであった。
2009年1月31日土曜日
"Supercapitalism" Robert B.Reich
著者は、民主主義と資本主義という二つの制度の境界を明確にしなければならないと述べる。然るにそれは、資本主義が民主主義を崩壊させうるからである。
70年代以前の米国では、その境界が明確であった。当時のアメリカを支えていた自動車産業などの第二次産業は 結果的に公共の利益を社会にもたらした。
彼らはその規模の経済を守りたいがために、そして生産に影響を与える労働ストライキなどを抑えたいがために、競争の抑制・利潤の社会的分配に合意していた。そしてそのような役割を担うがゆえに社会全体からの支持も必要としたので、利益の配分・雇用・地域社会・環境といった幅広い部門で政府と交渉していたのであった。
ただし、その代償として消費者・投資家には非常に限られた選択肢しかもたらさなかったことも明記しなければならない。技術革新の発生もあまり起こらなかったし、より安価な商品を享受することもならなかった。
然るに、70年代以降の米国ではこの状況が一変し、著者が『超資本主義』と呼称する状態が生まれる。
冷戦を戦うために政府が開発した科学技術が 新製品やサービスによって実用化されたころからこの状態は始まる。これらの競争は安定した生産システムに風穴を開け、市場の競争が熾烈になったのである。
これがもたらした結果は、大きく二つに分けられる。
まず市民は、消費者・投資家としてはより良い条件が得られることとなった。技術革新も多く起こるようになり、より安価な商品を享受できるようになった。
しかし市民は『市民』としては条件が悪化した。富の分配の調整、そして市民達の共通の価値観を守っていた制度が崩壊し始めた。巨大企業の後退、労働組合・監督官庁の影響力の弱化、そして企業のCEOたちは以前のように公的部門に関心を抱いていられなくなった。さらに、政治家は、地元経済・地元社会よりも自らの政治活動に必要な資金集めに奔走するようになり、企業ロビイストたちが行政・立法に介入してくるようになった。
資本主義が民主主義に侵食しつつあるのは二つの理由がある。
第一に、現在 私達が市場で行う反応というものが 市民としての私達の価値を十分に反映しないということである。これはつまり私達の本能的欲求を満たす 消費者としての私達の意志が、社会的公平性などの公的関心を持つ市民の私達の意思よりも先行してしまっているということである。
第二に、企業が自らの競争力の向上させんがために行政・立法に介入し始めたということである。
近年、企業の社会的責任についての論議が盛んである。しかし、ここで企業に社会的公正に関して民主主義と等価の機能を期待することはできない。
第一に、消費者・投資家はともに社会的責任に大きな対価を払うことを望まないことが実証されているからである。
第二に、個々の企業の『どうあるべきか』の構想が恣意的に決定される状況では、いかなる行動も『善』になりかねないのである。
以上、民主主義と資本主義に生じた変化について述べた。ここで強調すべきは、民主主義は資本主義なしでは存立することはできないということである。そしてそれにうまく運営できれば、私達はその両方から十分な恩恵を受けることができるのだ。然るにそれには両制度の境界線の明確化、すなわち国家による健全なルールの制定が必要なのである。ここでそのルールを考えるにあたって知るべき三つの”真実”を挙げる。
第一に、企業が政治に介入してくるのは阻止されなければならないということである。その方法として例えば献金を規制する企業間協定を創設することなどが挙げられる。
第二に、社会的な負の影響について企業・経営者を非難する政治家・活動家に用心することである。企業とはあくまでも利潤を高めるために競争するなかで負の影響を及ぼしているにすぎず、悪意のあるものではない。また、企業が社会的公正に介入すれば そのそれぞれが恣意的な『善』の構想を有するがゆえに 社会が不安定になりかねないのである。
第三に、企業は擬人化してはならないということである。それが結果的に人間に帰属するはずの義務・権利を企業が有し、資本主義と民主主義の境界を曖昧にしてしまっている。それに法人税などの税金を課す、また裁判で争う権利を与えるということを行ってはならないのである。
70年代以前の米国では、その境界が明確であった。当時のアメリカを支えていた自動車産業などの第二次産業は 結果的に公共の利益を社会にもたらした。
彼らはその規模の経済を守りたいがために、そして生産に影響を与える労働ストライキなどを抑えたいがために、競争の抑制・利潤の社会的分配に合意していた。そしてそのような役割を担うがゆえに社会全体からの支持も必要としたので、利益の配分・雇用・地域社会・環境といった幅広い部門で政府と交渉していたのであった。
ただし、その代償として消費者・投資家には非常に限られた選択肢しかもたらさなかったことも明記しなければならない。技術革新の発生もあまり起こらなかったし、より安価な商品を享受することもならなかった。
然るに、70年代以降の米国ではこの状況が一変し、著者が『超資本主義』と呼称する状態が生まれる。
冷戦を戦うために政府が開発した科学技術が 新製品やサービスによって実用化されたころからこの状態は始まる。これらの競争は安定した生産システムに風穴を開け、市場の競争が熾烈になったのである。
これがもたらした結果は、大きく二つに分けられる。
まず市民は、消費者・投資家としてはより良い条件が得られることとなった。技術革新も多く起こるようになり、より安価な商品を享受できるようになった。
しかし市民は『市民』としては条件が悪化した。富の分配の調整、そして市民達の共通の価値観を守っていた制度が崩壊し始めた。巨大企業の後退、労働組合・監督官庁の影響力の弱化、そして企業のCEOたちは以前のように公的部門に関心を抱いていられなくなった。さらに、政治家は、地元経済・地元社会よりも自らの政治活動に必要な資金集めに奔走するようになり、企業ロビイストたちが行政・立法に介入してくるようになった。
資本主義が民主主義に侵食しつつあるのは二つの理由がある。
第一に、現在 私達が市場で行う反応というものが 市民としての私達の価値を十分に反映しないということである。これはつまり私達の本能的欲求を満たす 消費者としての私達の意志が、社会的公平性などの公的関心を持つ市民の私達の意思よりも先行してしまっているということである。
第二に、企業が自らの競争力の向上させんがために行政・立法に介入し始めたということである。
近年、企業の社会的責任についての論議が盛んである。しかし、ここで企業に社会的公正に関して民主主義と等価の機能を期待することはできない。
第一に、消費者・投資家はともに社会的責任に大きな対価を払うことを望まないことが実証されているからである。
第二に、個々の企業の『どうあるべきか』の構想が恣意的に決定される状況では、いかなる行動も『善』になりかねないのである。
以上、民主主義と資本主義に生じた変化について述べた。ここで強調すべきは、民主主義は資本主義なしでは存立することはできないということである。そしてそれにうまく運営できれば、私達はその両方から十分な恩恵を受けることができるのだ。然るにそれには両制度の境界線の明確化、すなわち国家による健全なルールの制定が必要なのである。ここでそのルールを考えるにあたって知るべき三つの”真実”を挙げる。
第一に、企業が政治に介入してくるのは阻止されなければならないということである。その方法として例えば献金を規制する企業間協定を創設することなどが挙げられる。
第二に、社会的な負の影響について企業・経営者を非難する政治家・活動家に用心することである。企業とはあくまでも利潤を高めるために競争するなかで負の影響を及ぼしているにすぎず、悪意のあるものではない。また、企業が社会的公正に介入すれば そのそれぞれが恣意的な『善』の構想を有するがゆえに 社会が不安定になりかねないのである。
第三に、企業は擬人化してはならないということである。それが結果的に人間に帰属するはずの義務・権利を企業が有し、資本主義と民主主義の境界を曖昧にしてしまっている。それに法人税などの税金を課す、また裁判で争う権利を与えるということを行ってはならないのである。
2009年1月8日木曜日
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
□ 若者に関する不毛な議論が世に蔓延っている。
著者はこの本のなかで、若者へ浴びせられる数多のバッシングが支離滅裂であることを示すと同時に、若者への”理解”を示す多くの論者たちすらもバッサリと切る。そして彼らに共通する『世代論』という枠組みを非難したうえで、統計などに基づく実証的・科学的な議論をせよと唱える。
□ まず著者は、若者に関する言説の系譜を概説する。九十年代後半以降、若者は『(それが事実かどうかは別にして)理解できない』とされ 否定的に捉えられていった。そしてそこから、少数の学者から「若者の”リアリティ”を知るべきだ」と擁護された時期をはさみ、大規模な若者バッシングが始まったのである。
そこで特徴的なのは、「若者の現実を知って理解してあげよう」と若者を擁護していた論者たちの多くが、突如として若者バッシングに転向したことだ。「ブルセラ社会学者」宮台真司がその一人として挙げられるだろう。彼らは、若者を「倫理観を失って犯罪に走っている」とし攻撃した。
しかし、彼らの議論の大前提であるデータが間違っている以上、その主張は間違っているといわざるえない。一つの例が少年犯罪についてのデータである。彼らは少年犯罪が急増しているという前提で議論を進めている。しかし、実際の少年犯罪のピークは60年代で それ以降は降下を続け 低水準を維持しているのである。
彼らはそのなかで若者論を受け入れる言説空間を政治の世界にまで広げていったのである(ex.ぷちナショナリズム症候群)。そしてさらにそこから、サブカルチャー・インターネット・教育言説など多岐に渡る分野に俗論が広がっていく。
□ たとえば精神科医・香山リカは、「若者には新たなナショナリズムが台頭しつつある」と述べた。この主張も無論、統計にまったく結びつくものではない。たとえば、「小泉・安倍自民党を若者たちは圧倒的に支持している」といわれたが、統計的に見れば自民党を支持しているどころか、二つ上の世代と比べたら支持率は低下しているのである。
しかし多くの学者は 彼女に対して何の批判も行わず、その主張をすんなり受け入れてしまったのだ。そして幅広い分野で彼女の主張が鵜呑みにされ 議論が進んでしまったのである。特にナショナリズムが世代の違い問題にされてしまったことが大きな問題だった。これが若者へのバッシングをさらに強めたと同時に、本来 問題とすべきナショナリズムについての議論の軸をゆがめてしまったのである。
さらにそこに、エセ科学やニューエイジ思想が入り込み、若者バッシングが加速する。江原啓之に代表される『スピリチュアリズム』や『インテリジェント・デザイン』運動が少年犯罪や靖国参拝について言及したのが良い例だろう。ひどい例としては、若者を”治癒”するものとして「水からの伝言」という支離滅裂な擬似科学が倫理の教科書に載せられたりもしたのである。
□ 若者バッシングは政治の世界だけではなく、サブカルチャー・インターネットの世界にまで広がる。その先駆者が東浩紀であろう。彼は「動物化するポストモダン」と呼ばれる一冊のなかで”オタク第三世代”の消費行動を分析するのだが、それは単なる推論や 特定のキャラクターの印象を勝手に解釈したものに基づいているに過ぎない。そしてこの本は、途中で突如として先述した宮台真司の若者論と結びつけられ、若者バッシングに転化するのである。
なぜかこの本は、このように客観性を著しく欠くにも関わらず 論壇で受け入れられてしまった。その若者を卑下した思想、そして客観性を著しく欠く傾向は、宮台の門下生や弟子にも受け継がれている。
□ 教育言説も、その例外ではない。「ゆとり教育世代問題」「ニート問題」などの問題も、その一貫として出てきたものである。そしてそれらの問題も擬似問題といわざるえない(ex.ゆとり教育世代は一般的にいわれているように頭が悪くなく、そして”ニート”のほとんど雇用を求めていることが明らかにされている)。
大きな問題は、そのなかで先述した宮台真司や、同じく支離滅裂な若者論を振り回す論者たちが教育界の権力を握ってしまったのである。
□ 以上の支離滅裂な議論に共通するのは、当事者たちによる勝手な思い込みで若者が語られてしまったことである。全く客観的なデータが参照されず、若者がモンスター化されてしまったのだ。
ここで注目すべきは、若者がモンスター化される過程で『世代論』が大きく参照されてきたことである。長らく日本の論題では、他者の心の問題をすべて世代で片付ける傾向があった。そしてこれが、不毛な世代間闘争などを呼び起こし、問題を大きくしてしまったのだ。
著者は最後に述べる。いい加減、たとえば疑似科学を厳密な統計データで否定するように、私達は統計に学ぶべきである。そして、「若者」といった図式に囚われず、真に問題にすべき権力の構造を探っていくべきである、と。
著者はこの本のなかで、若者へ浴びせられる数多のバッシングが支離滅裂であることを示すと同時に、若者への”理解”を示す多くの論者たちすらもバッサリと切る。そして彼らに共通する『世代論』という枠組みを非難したうえで、統計などに基づく実証的・科学的な議論をせよと唱える。
□ まず著者は、若者に関する言説の系譜を概説する。九十年代後半以降、若者は『(それが事実かどうかは別にして)理解できない』とされ 否定的に捉えられていった。そしてそこから、少数の学者から「若者の”リアリティ”を知るべきだ」と擁護された時期をはさみ、大規模な若者バッシングが始まったのである。
そこで特徴的なのは、「若者の現実を知って理解してあげよう」と若者を擁護していた論者たちの多くが、突如として若者バッシングに転向したことだ。「ブルセラ社会学者」宮台真司がその一人として挙げられるだろう。彼らは、若者を「倫理観を失って犯罪に走っている」とし攻撃した。
しかし、彼らの議論の大前提であるデータが間違っている以上、その主張は間違っているといわざるえない。一つの例が少年犯罪についてのデータである。彼らは少年犯罪が急増しているという前提で議論を進めている。しかし、実際の少年犯罪のピークは60年代で それ以降は降下を続け 低水準を維持しているのである。
彼らはそのなかで若者論を受け入れる言説空間を政治の世界にまで広げていったのである(ex.ぷちナショナリズム症候群)。そしてさらにそこから、サブカルチャー・インターネット・教育言説など多岐に渡る分野に俗論が広がっていく。
□ たとえば精神科医・香山リカは、「若者には新たなナショナリズムが台頭しつつある」と述べた。この主張も無論、統計にまったく結びつくものではない。たとえば、「小泉・安倍自民党を若者たちは圧倒的に支持している」といわれたが、統計的に見れば自民党を支持しているどころか、二つ上の世代と比べたら支持率は低下しているのである。
しかし多くの学者は 彼女に対して何の批判も行わず、その主張をすんなり受け入れてしまったのだ。そして幅広い分野で彼女の主張が鵜呑みにされ 議論が進んでしまったのである。特にナショナリズムが世代の違い問題にされてしまったことが大きな問題だった。これが若者へのバッシングをさらに強めたと同時に、本来 問題とすべきナショナリズムについての議論の軸をゆがめてしまったのである。
さらにそこに、エセ科学やニューエイジ思想が入り込み、若者バッシングが加速する。江原啓之に代表される『スピリチュアリズム』や『インテリジェント・デザイン』運動が少年犯罪や靖国参拝について言及したのが良い例だろう。ひどい例としては、若者を”治癒”するものとして「水からの伝言」という支離滅裂な擬似科学が倫理の教科書に載せられたりもしたのである。
□ 若者バッシングは政治の世界だけではなく、サブカルチャー・インターネットの世界にまで広がる。その先駆者が東浩紀であろう。彼は「動物化するポストモダン」と呼ばれる一冊のなかで”オタク第三世代”の消費行動を分析するのだが、それは単なる推論や 特定のキャラクターの印象を勝手に解釈したものに基づいているに過ぎない。そしてこの本は、途中で突如として先述した宮台真司の若者論と結びつけられ、若者バッシングに転化するのである。
なぜかこの本は、このように客観性を著しく欠くにも関わらず 論壇で受け入れられてしまった。その若者を卑下した思想、そして客観性を著しく欠く傾向は、宮台の門下生や弟子にも受け継がれている。
□ 教育言説も、その例外ではない。「ゆとり教育世代問題」「ニート問題」などの問題も、その一貫として出てきたものである。そしてそれらの問題も擬似問題といわざるえない(ex.ゆとり教育世代は一般的にいわれているように頭が悪くなく、そして”ニート”のほとんど雇用を求めていることが明らかにされている)。
大きな問題は、そのなかで先述した宮台真司や、同じく支離滅裂な若者論を振り回す論者たちが教育界の権力を握ってしまったのである。
□ 以上の支離滅裂な議論に共通するのは、当事者たちによる勝手な思い込みで若者が語られてしまったことである。全く客観的なデータが参照されず、若者がモンスター化されてしまったのだ。
ここで注目すべきは、若者がモンスター化される過程で『世代論』が大きく参照されてきたことである。長らく日本の論題では、他者の心の問題をすべて世代で片付ける傾向があった。そしてこれが、不毛な世代間闘争などを呼び起こし、問題を大きくしてしまったのだ。
著者は最後に述べる。いい加減、たとえば疑似科学を厳密な統計データで否定するように、私達は統計に学ぶべきである。そして、「若者」といった図式に囚われず、真に問題にすべき権力の構造を探っていくべきである、と。
2009年1月7日水曜日
『ハイエク 知識時代の自由主義』 池田信夫
本書は、ハイエクの思想の概説と、それが現代の諸問題に多くの示唆を与える点を指摘したものである。
ハイエクは、近代の合理主義を否定し、人間の無知をすべての理論の前提においた。この懐疑的な考えは、彼の生まれ育った『西洋の没落』の中心地たる戦間期のウィーンという地の特色に由来するのではないかと思われる。
彼の市場に対する認識は、ケインズ・そして合理的期待派とそれぞれ共通点と相違点がある。
ハイエクとケインズの違いは、ハイエクは市場経済を信頼し政府を信じず、ケインズはその反対の認識を持っていたということだ。
これら二点については、ハイエクと合理的期待派は同じ意見を有する。ただし、合理的期待学派はその理論における個人を完全に合理的であることにしたのに対し、ハイエクはそうしなかった。ハイエクにとって市場とは、部分的情報しか有さない非合理的個人が価格を媒介にして外部の情報を取り入れ、無知を修正して進化するメカニズムであった。そしてこの点においては、ハイエクとケインズの見解は共通していた。
そのような認識をもっている以上、ハイエクが社会主義という思想に賛同するわけがない。すべての知識・情報を単一の箇所に集めることは不可能であり、社会を”計画”することはできるわけがないのである。
ハイエクは、個人は自由であるべきだと主張する。然るに彼の指す自由とは、消極的自由と呼称されるものである。積極的自由と呼ばれる概念のが人々を自由たらしめようとアクションを起こすのに対し、消極的自由はそのアクションを否定する。その理由として、積極的自由は消極的自由の文脈においてはむしろ自由を束縛しうる点、そして人間は本質的に無知を抱えている以上 何がどうあるべきかを考えることはできない点が挙げられる。そのうえで彼は、個人の誤謬の修正を可とする消極的自由を擁護するのである。
ハイエクは、人々が利己的な行動を起こすことにより、非理性的・自然発生的な秩序が生まれるとし、その秩序のひとつが市場であるとする。ただし、彼の議論においては、彼の依拠する自然淘汰の理論が既に否定されている点、大規模な市場が西洋文明圏でしか発生しなかった点、その市場がなぜか世界的に普及した点、そしてそもそも個人が利己的に行動することによって予定調和が生まれるという理論的根拠が挙げられていない点などが疑問として残る。
晩年のハイエクは、市場におけるルールの設計の必要性というものを唱え、法哲学的な議論をはじめる。その議論は、慣習法の肯定、それを構成する価値としての財産権の肯定、「分配の正義」の否定、人々の持つ部族社会の感情の指摘など多岐に渡る。
自生的秩序たるインターネットによって支えられつつある今の情報社会に彼の主張は大きな示唆を与える。その例として彼が知的財産権を否定した議論などが挙げられる。
現在、自然・社会科学の研究はハイエクの理論が正しかったこと、そしてハイエクの想像していた以上に人間が非合理的であったことなどを証明しつつある。
ハイエク・そして池田信夫氏の議論を総括するならば、私達に残されている選択肢は、仮にハイエクの唱えた自生的秩序という思想が間違っていたとしてもそれが成立するように努力するしかないということである。
ハイエクは、近代の合理主義を否定し、人間の無知をすべての理論の前提においた。この懐疑的な考えは、彼の生まれ育った『西洋の没落』の中心地たる戦間期のウィーンという地の特色に由来するのではないかと思われる。
彼の市場に対する認識は、ケインズ・そして合理的期待派とそれぞれ共通点と相違点がある。
ハイエクとケインズの違いは、ハイエクは市場経済を信頼し政府を信じず、ケインズはその反対の認識を持っていたということだ。
これら二点については、ハイエクと合理的期待派は同じ意見を有する。ただし、合理的期待学派はその理論における個人を完全に合理的であることにしたのに対し、ハイエクはそうしなかった。ハイエクにとって市場とは、部分的情報しか有さない非合理的個人が価格を媒介にして外部の情報を取り入れ、無知を修正して進化するメカニズムであった。そしてこの点においては、ハイエクとケインズの見解は共通していた。
そのような認識をもっている以上、ハイエクが社会主義という思想に賛同するわけがない。すべての知識・情報を単一の箇所に集めることは不可能であり、社会を”計画”することはできるわけがないのである。
ハイエクは、個人は自由であるべきだと主張する。然るに彼の指す自由とは、消極的自由と呼称されるものである。積極的自由と呼ばれる概念のが人々を自由たらしめようとアクションを起こすのに対し、消極的自由はそのアクションを否定する。その理由として、積極的自由は消極的自由の文脈においてはむしろ自由を束縛しうる点、そして人間は本質的に無知を抱えている以上 何がどうあるべきかを考えることはできない点が挙げられる。そのうえで彼は、個人の誤謬の修正を可とする消極的自由を擁護するのである。
ハイエクは、人々が利己的な行動を起こすことにより、非理性的・自然発生的な秩序が生まれるとし、その秩序のひとつが市場であるとする。ただし、彼の議論においては、彼の依拠する自然淘汰の理論が既に否定されている点、大規模な市場が西洋文明圏でしか発生しなかった点、その市場がなぜか世界的に普及した点、そしてそもそも個人が利己的に行動することによって予定調和が生まれるという理論的根拠が挙げられていない点などが疑問として残る。
晩年のハイエクは、市場におけるルールの設計の必要性というものを唱え、法哲学的な議論をはじめる。その議論は、慣習法の肯定、それを構成する価値としての財産権の肯定、「分配の正義」の否定、人々の持つ部族社会の感情の指摘など多岐に渡る。
自生的秩序たるインターネットによって支えられつつある今の情報社会に彼の主張は大きな示唆を与える。その例として彼が知的財産権を否定した議論などが挙げられる。
現在、自然・社会科学の研究はハイエクの理論が正しかったこと、そしてハイエクの想像していた以上に人間が非合理的であったことなどを証明しつつある。
ハイエク・そして池田信夫氏の議論を総括するならば、私達に残されている選択肢は、仮にハイエクの唱えた自生的秩序という思想が間違っていたとしてもそれが成立するように努力するしかないということである。
2009年1月5日月曜日
『世界経済危機 日本の罪と罰』 野口悠紀雄
本書はタイトルのごとく現在の金融危機について述べたものである。著者はそのなかで これから日本を未曾有の経済危機が襲うと断ずる。
今回の金融危機はアメリカ以上に日本の株価下落率のほうが激しい。これはこの件に日本が深く関わっていることの証左である。然るにそれはいかなることか。
この議論の大前提として、今回表出したサブプライムローンというのはあくまでも表面に現れた現象に過ぎず、その背後には大きなマクロ経済の歪みがあるということを認識しなければならない。
その歪みの構造を紐解くべく、日本の景気回復と呼ばれた現象を考えよう。〇二年以降 日本の景気は回復したといわれたが、〇八年一〇月二七日にバブル後最安値を記録した。これは、日本の景気回復というものがメッキ張りであったことを示唆している。この虚構を作り出したのは、①金融超緩和と為替介入が日本に異常な円安を起こし、そしてその状態において②アメリカの過剰消費に伴って対米輸出の増加したことによるものだったのである。
以上の二つの要因は持続性のあるものではなかった。そしてそれらの要因が互解した今、日本の輸出産業は大損失を出しつつあるのである。
次にアメリカの現状について述べよう。住宅バブルの崩壊、そしてそのあとの経過を見るかぎり、投資銀行のビジネスモデルは崩壊したといえる(ただし、金融工学をこの問題の元凶とする議論には著者は組しない。今回の金融危機は金融工学が厳密に活用されなかったことによるものと著者は述べる。)
アメリカでは長らく過剰消費が行われてきた。そしてその一貫として住宅がローンで購入され、最終的にはこのようなことになってしまった。住宅を担保に車が購入されていたという事実からすれば、トヨタの得ていた利益というのも多少 その住宅バブルと連動していたものといえるかもしれない。
この過剰消費を支えていたのが、中国・産油国・そして日本である。アメリカの過剰消費は、経常収支赤字の拡大に結びついた。本来ならそれで円高などが起こるべきだったのだが、たとえば日本は輸出産業を守りたいがために金融超緩和と為替介入をして円安を強制的に起こしていたのである。そしてそこからの資金の還流が、アメリカ人が長い間 消費を謳歌した際の穴埋めになっていたのであった。(ここで日本国民は、己が汗水垂らして働いたお金がアメリカ人に使われていることに憤慨すべきだと著者は述べる。)
アメリカの経常赤字が解消されない限り、今回の経済危機は解決することはないだろう。そして、その経常赤字が解消されるとともに、日本の経常黒字も縮小していくと思われる。
日本がこの経済危機を乗り切るには、産業構造を大きく転換させるしかないだろう。
今回の金融危機はアメリカ以上に日本の株価下落率のほうが激しい。これはこの件に日本が深く関わっていることの証左である。然るにそれはいかなることか。
この議論の大前提として、今回表出したサブプライムローンというのはあくまでも表面に現れた現象に過ぎず、その背後には大きなマクロ経済の歪みがあるということを認識しなければならない。
その歪みの構造を紐解くべく、日本の景気回復と呼ばれた現象を考えよう。〇二年以降 日本の景気は回復したといわれたが、〇八年一〇月二七日にバブル後最安値を記録した。これは、日本の景気回復というものがメッキ張りであったことを示唆している。この虚構を作り出したのは、①金融超緩和と為替介入が日本に異常な円安を起こし、そしてその状態において②アメリカの過剰消費に伴って対米輸出の増加したことによるものだったのである。
以上の二つの要因は持続性のあるものではなかった。そしてそれらの要因が互解した今、日本の輸出産業は大損失を出しつつあるのである。
次にアメリカの現状について述べよう。住宅バブルの崩壊、そしてそのあとの経過を見るかぎり、投資銀行のビジネスモデルは崩壊したといえる(ただし、金融工学をこの問題の元凶とする議論には著者は組しない。今回の金融危機は金融工学が厳密に活用されなかったことによるものと著者は述べる。)
アメリカでは長らく過剰消費が行われてきた。そしてその一貫として住宅がローンで購入され、最終的にはこのようなことになってしまった。住宅を担保に車が購入されていたという事実からすれば、トヨタの得ていた利益というのも多少 その住宅バブルと連動していたものといえるかもしれない。
この過剰消費を支えていたのが、中国・産油国・そして日本である。アメリカの過剰消費は、経常収支赤字の拡大に結びついた。本来ならそれで円高などが起こるべきだったのだが、たとえば日本は輸出産業を守りたいがために金融超緩和と為替介入をして円安を強制的に起こしていたのである。そしてそこからの資金の還流が、アメリカ人が長い間 消費を謳歌した際の穴埋めになっていたのであった。(ここで日本国民は、己が汗水垂らして働いたお金がアメリカ人に使われていることに憤慨すべきだと著者は述べる。)
アメリカの経常赤字が解消されない限り、今回の経済危機は解決することはないだろう。そして、その経常赤字が解消されるとともに、日本の経常黒字も縮小していくと思われる。
日本がこの経済危機を乗り切るには、産業構造を大きく転換させるしかないだろう。
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