2009年1月8日木曜日

『おまえが若者を語るな!』 後藤和智

 □ 若者に関する不毛な議論が世に蔓延っている。
 
 著者はこの本のなかで、若者へ浴びせられる数多のバッシングが支離滅裂であることを示すと同時に、若者への”理解”を示す多くの論者たちすらもバッサリと切る。そして彼らに共通する『世代論』という枠組みを非難したうえで、統計などに基づく実証的・科学的な議論をせよと唱える。

 □ まず著者は、若者に関する言説の系譜を概説する。九十年代後半以降、若者は『(それが事実かどうかは別にして)理解できない』とされ 否定的に捉えられていった。そしてそこから、少数の学者から「若者の”リアリティ”を知るべきだ」と擁護された時期をはさみ、大規模な若者バッシングが始まったのである。

 そこで特徴的なのは、「若者の現実を知って理解してあげよう」と若者を擁護していた論者たちの多くが、突如として若者バッシングに転向したことだ。「ブルセラ社会学者」宮台真司がその一人として挙げられるだろう。彼らは、若者を「倫理観を失って犯罪に走っている」とし攻撃した。

 しかし、彼らの議論の大前提であるデータが間違っている以上、その主張は間違っているといわざるえない。一つの例が少年犯罪についてのデータである。彼らは少年犯罪が急増しているという前提で議論を進めている。しかし、実際の少年犯罪のピークは60年代で それ以降は降下を続け 低水準を維持しているのである。

 彼らはそのなかで若者論を受け入れる言説空間を政治の世界にまで広げていったのである(ex.ぷちナショナリズム症候群)。そしてさらにそこから、サブカルチャー・インターネット・教育言説など多岐に渡る分野に俗論が広がっていく。

 □ たとえば精神科医・香山リカは、「若者には新たなナショナリズムが台頭しつつある」と述べた。この主張も無論、統計にまったく結びつくものではない。たとえば、「小泉・安倍自民党を若者たちは圧倒的に支持している」といわれたが、統計的に見れば自民党を支持しているどころか、二つ上の世代と比べたら支持率は低下しているのである。

 しかし多くの学者は 彼女に対して何の批判も行わず、その主張をすんなり受け入れてしまったのだ。そして幅広い分野で彼女の主張が鵜呑みにされ 議論が進んでしまったのである。特にナショナリズムが世代の違い問題にされてしまったことが大きな問題だった。これが若者へのバッシングをさらに強めたと同時に、本来 問題とすべきナショナリズムについての議論の軸をゆがめてしまったのである。

 さらにそこに、エセ科学やニューエイジ思想が入り込み、若者バッシングが加速する。江原啓之に代表される『スピリチュアリズム』や『インテリジェント・デザイン』運動が少年犯罪や靖国参拝について言及したのが良い例だろう。ひどい例としては、若者を”治癒”するものとして「水からの伝言」という支離滅裂な擬似科学が倫理の教科書に載せられたりもしたのである。

 □ 若者バッシングは政治の世界だけではなく、サブカルチャー・インターネットの世界にまで広がる。その先駆者が東浩紀であろう。彼は「動物化するポストモダン」と呼ばれる一冊のなかで”オタク第三世代”の消費行動を分析するのだが、それは単なる推論や 特定のキャラクターの印象を勝手に解釈したものに基づいているに過ぎない。そしてこの本は、途中で突如として先述した宮台真司の若者論と結びつけられ、若者バッシングに転化するのである。

 なぜかこの本は、このように客観性を著しく欠くにも関わらず 論壇で受け入れられてしまった。その若者を卑下した思想、そして客観性を著しく欠く傾向は、宮台の門下生や弟子にも受け継がれている。

 □ 教育言説も、その例外ではない。「ゆとり教育世代問題」「ニート問題」などの問題も、その一貫として出てきたものである。そしてそれらの問題も擬似問題といわざるえない(ex.ゆとり教育世代は一般的にいわれているように頭が悪くなく、そして”ニート”のほとんど雇用を求めていることが明らかにされている)。
 大きな問題は、そのなかで先述した宮台真司や、同じく支離滅裂な若者論を振り回す論者たちが教育界の権力を握ってしまったのである。


 □ 以上の支離滅裂な議論に共通するのは、当事者たちによる勝手な思い込みで若者が語られてしまったことである。全く客観的なデータが参照されず、若者がモンスター化されてしまったのだ。

 ここで注目すべきは、若者がモンスター化される過程で『世代論』が大きく参照されてきたことである。長らく日本の論題では、他者の心の問題をすべて世代で片付ける傾向があった。そしてこれが、不毛な世代間闘争などを呼び起こし、問題を大きくしてしまったのだ。

 著者は最後に述べる。いい加減、たとえば疑似科学を厳密な統計データで否定するように、私達は統計に学ぶべきである。そして、「若者」といった図式に囚われず、真に問題にすべき権力の構造を探っていくべきである、と。

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